2026/07/13

ある時、京セラの協力会社の親族から当時社長だった稲盛和夫氏宛てに抗議の手紙が届いた。京セラ側の現場責任者が、契約違反に対し厳しい判断を下したことがきっかけだったが、稲盛氏は説明を聞いた上で自らこの件を引き取った。
なぜ稲盛氏は現場責任者を守ったのか。京セラ副会長を経て、JAL再建に会長補佐として加わった森田直行氏が、稲盛氏の「現場を信じる経営」の原点を振り返る。
(中略)
経営破綻したJALへ入り、現場や幹部へのヒアリングを重ねる中で感じたことがあった。それは、「責任の所在が曖昧になっている」ということである。誰が利益責任を持っているのか分からない。数字が見えない。現場が主体的に判断する仕組みも弱い。真面目な社員は多かったが、組織としての力を十分に発揮できていなかった。
そこで私たちは、フィロソフィの浸透と並行して、部門別採算制度の導入を進めた。各部門が数字を見て、自ら考え、自ら行動する。そして利益責任を持つ。私はJAL再建の現場で、多くの本部長や部門責任者と向き合った。
その際に強く感じたのは、責任を持つ人が育つためには、責任を負う仕組みだけでは足りないということである。最後は経営陣が支えるという信頼がなければ、人は本気で経営に参加できない。改革を進めながら、私は何度も国分工場時代の出来事を思い出していた。
(Japan Innovation Review 6月30日)
責任とは、本来、孤独な重量物である。稲盛和夫が協力会社との間で発生した問題の処理で示したのは、その重量を現場の一人に背負わせないという経営者の覚悟だった。契約違反への厳格な判断を下した責任者を、抗議の手紙を受けてなお稲盛が自ら引き取った逸話は、単なる美談ではない。権限を委譲する者が、同時に結果の引責をも引き受けるという、経営における対の構造を示している。
森田直行氏の回想が興味深いのは、JAL再建の現場で見出された課題が、まさにこの対の片方の欠落だったという点にある。責任の所在が曖昧で、数字が見えず、現場が主体的に判断できない――これは制度の不備というより、信頼という基盤の不在だった。
部門別採算制度の導入は、いわば責任を「見える化」する装置だが、装置だけでは人は動かない。数字を背負う覚悟は、背負った先に支える手があるという確信からしか生まれないからである。
ここに、経営という営みの本質が透けて見える。JALでフィロソフィの浸透と採算制度の導入という、精神と技術の両輪が同時に進められたのは、稲盛氏が支える手となって示した「現場が本気で判断してよいのだ」という組織全体への約束だった。
破綻したJALの再建が果たされたのは、その約束が数字よりも先に、社員たちに信じられたからではなかったか。人を動かすのは信頼である。人が人を信じ切れるかという、きわめて人間的な賭けに勝った者だけが、真に組織を再生させることができる。
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